Akane Japan Life

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「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」感想&プチ分析

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 11月のある小雨がチラついている夜、静まり返った部屋に私が一人でキーボードを鳴らす。

 この文の構造はどこか見たことがありませんか?

 これは村上春樹氏の「四月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」の短編小説の書き出しに真似った分です。
 小説の書き出しは、
 

 四月のある晴れた朝、原宿の裏通りで僕は100パーセントの女 の子とすれ違う。
 たいして綺麗な女の子ではない。素敵な服を着ているわけでも ない。髪の後ろの方には寝ぐせがついたままだし、歳だっておそら くもう三十に近いはずだ。しかし五十メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。彼女は僕にとっての100パーセントの女の子なの だ。彼女の姿を目にした瞬間から僕の胸は不規則に震え、口の中は 砂漠みたいにカラカラに乾いてしまう。

 
 小説の冒頭の一行だけで、When, Where, Who, Whatの他に、CharacterとWorldも揃っている。
 When —四月のある晴れた朝
 四月は日本人にとって特別な意味がある。学校も会社も4月から新年度が始まる。4月は新しい開始というニュアンスが含まれていると思う。
 朝も一日の始まりなので、始まりの連発で僕と100パーセントの女の子との間に何か始まるかと匂わせる描写でもある。
 晴れというスッキリした気分はこのストリーのベースになっている。

 Where—原宿の裏通り
 Who—僕
 What—100パーセントの女の子とすれ違う
 Character—一人称は「おれ」でもなく、「私」ではなく、「自分」でもなく、「僕」という女々しくなくて優しそうな印象を与えてくれた。しかも、一目で100パーセントだと意識するタイプ。
 
 World—二人が「出会う」のではなく、「すれ違う」を使った。
「出会い」に「別れ」がやってくるという連想されるので、「すれ違う」には「再会」というポジティブな意味をもたらすかもしれない。
 この一行目に沢山の情報が詰め込まれている。実に著者が意匠を凝らした一文です。

 女の子に声をかけた訳ではなく、あとを付けた訳ではなく、なにか進展があった訳でもない。
 この100パーセント女の子との何十秒のすれ違いはもうこのストリーの全部です。

 僕と彼女のあいだの距離はもう十五メートルばかりに近づいて いる。

 そして、先ほどの30メートルの距離から15メートルまで縮まれた。
 
 スーパースローモーションだが、小説を通して見せてくれたシーンはちゃんと動いている。

 彼女に近付いていき、また「花屋の店先で、僕と彼女とすれ違う。」という別れまでの間に、僕には沢山心理活動があった。

彼女は東から西へ、僕は西から東に向けて歩いていた。とても気持の良い四月の朝だ。たとえ三十分でもいいから彼女と話をしてみたいと僕は思う。彼女の身の上を聞いてみたいし、僕の身の上を打ちあけてもみたい。そして何よりも、一九八一年の四月のある晴れた朝に、我々が原宿の裏通りですれ違うに至った運命の経緯のようなものを解き明かしてみたいと思う。「中略」
 彼女はおそらくそんな科白を信じてはくれないだろう。それにもし信じてくれたとしても、彼女は僕と話なんかしたくないと思うかもしれない。あなたにとって私が100パーセントの女の子だとしても、私にとってあなたは100パーセントの男じゃないのよ、と彼女は 言うかもしれない。そういう事態に陥ったとしたら、きっと僕はおそろしく混乱してしまうに違いない。僕はもう三十二で、結局のところ年を取るというのはそういうことなのだ。

 この長い心理的な葛藤を挟み、時間が止まったかのような錯覚さえ生じた。

 さらに、すれ違った花屋の店先に関する描写は、

 花屋の店先で、僕は彼女とすれ違う。温かい小さな空気の塊りが僕の肌に触れる。アスファルトの舗道には水が撒かれていて、あたりにはバラの花の匂いがする。僕は彼女に声をかけることもできない。彼女は白いセーターを着て、まだ切手の貼られていない白い角封筒を右手に持っている。彼女は誰かに手紙を書いたのだ。彼女はひどく眠そうな目をしていたから、あるいは一晩かけてそれを書き上げたのかもしれない。そしてその角封筒の中には彼女についての秘密の全てが収まっているのかもしれない。何歩か歩いてから振り返った時、彼女の姿は既に人混みの中に消えていた。

 ここの描写から私がとても臨場感を感じた。
 視覚は言うまでもなく、他にも「暖かい小さな空気の塊りが僕の肌に触れる」という触覚、「バラの花の匂い」という臭覚、また原宿の裏通りというにぎやかな場所を舞台にしているわりに、雑音一切していないサイレント映画のようなスーローモーションシーンが目の前に流れているだけ。
 インパクトが強い動的描写です。
 
 小説の最後、著者はもともと彼女に声掛けするために思い付いたストリーという設定でさらにストリーを挿入した。

 僕は彼女にそんなふうに切り出してみるべきだった。

 小説全体を通して、実際に発生したことはタイトルにすべて語られたのだ。
 なのに、時間とともに、僕と彼女との縮んでそして再び離れた動的な情景を描かれていた。
 スーパースーローモーションから普通のスピードに戻ったというテンポの切り替え。
 視覚、臭覚、触覚、聴覚の融合。
 素晴らしい作品でした。

 最後に、もう少し付き合ってください。
 今日のブログの冒頭部分に書かれた私が真似した一行についても説明させてください。

11月のある小雨がチラついている夜、静まり返った部屋に私が一人でキーボードを鳴らす。

 11月、秋が深まり、落ち葉が舞い散る季節で肌恋しくると連想される。
 雨は夏のようにざあざあと思い切って降ってきているのではなく、小雨がチラつく程度というのは気分もモヤモヤしてスッキリしていない。
 この肌恋しい秋の夜に一人がパソコンに向かっているまさに今の自分の事態です。
 なぜこんなにも気分が低いか?
 時刻は夜中1時前にもかかわらず、旦那は「行方不明」です。笑

ついでに本の写真はこちらです。↓

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

「象の消滅」 短篇選集 1980-1991

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参考:「英語で読む村上春樹」2016 4/10-5/14 NHKテキスト